よこまちポストON AIR vol.2「上吉田今昔物語-小佐野から古吉田そして上吉田へ-」
- yokomachipost
- 2020年8月20日
- 読了時間: 5分
よこまちポストON AIRは昨年度国道138号線沿いの横町に誕生した「まちづくりギャラリーよこまちポスト」のオンライン番組です。今回はその第2弾として、ふじさんミュージアムの学芸員である篠原さんをゲストにお迎えし、上吉田の歴史についてお話しいただきました。vol.1にご参加いただいた方に加え、今回はじめてご参加された方もいらっしゃり、「上吉田の歴史」というテーマへの関心の高さが伺えました。

-開催概要-
日時:2020年7月20日(月)19:00-19:30
開催方法:ZOOMを用いたオンライン・リアルタイムでの開催
概要:上吉田の歴史は、小佐野から始まりました。その後、室町時代ころに古吉田に移り、1572年に現在の上吉田に移転し、徐々に街並を広げていき、現在に至ります。上吉田で現在も使われている道や水路、今も大切に受け継がれている寺院、神社、御師の家などに刻まれた歴史を紐解きながら、上吉田の歴史をたどっていきます。
富士山信仰の町「上吉田」
篠原さんのお話はまず、上吉田の歴史を語る上では欠かせない、富士登山の行程の解説から始まります。富士登山をする集団「富士講」は、江戸から歩いて上吉田に到着し、御師の家に宿泊します。翌朝早起きをして白装束に身を包み、北口本宮冨士浅間神社で登山の安全祈願をした後、吉田口登山道を通って、1泊2日で富士山の頂上を目指します。登山道の始まりから富士山の頂上までは20kmの距離で、所要時間は約11時間です。少し離れたところには「吉田胎内樹型」があります。これは、約1000年前、富士山の溶岩が流れて大木の内部が空洞になったものです。内部が人の胎内のようになめらかなので、この樹形の中を通ると生まれ変わる、または身が清まると言われており、富士登山をする人のほとんどがここでもお参りをしました。富士登山の行程に含まれるこれらは全て、世界文化遺産富士山の構成要素です。

「御師の家」について少し詳しく見てみましょう。「御師」とは「御祈祷師」の略称で、富士山の神様につかえる人を指します。江戸時代の上吉田には86軒の御師の家がありました。現存する旧外川家住宅にはおよそ100人が宿泊できるそうです。御師の家の奥には富士山の神様を祀った神殿があり、御師がそこで宿泊者のためにご祈祷をします。

富士吉田市の地質
続いて、お話は「地質」や「水系」に移ります。上吉田に限らず、人々が暮らすためにはまとまった量の水を確保することが必須であるため、集落は川など水源の近くに形成されることが多いです。富士吉田の貴重な水源として、山中湖から流れる桂川がありますが、桂川と上吉田、そしてこれからお話に出てくる小佐野、古吉田との間にはかなりの距離があります。

川から遠い場所で水を確保するためには雨水を貯めるという方法も考えられますが、それは困難です。なぜなら、富士吉田市内のほとんどの土地が「雪代」によって蓄積された土砂から成り、雨が降っても水がすぐに地下へ染み込んでしまうからです。
「雪代」とは、富士山の標高が高いところで起きた雪崩が、土砂を巻き込んで土石流となり富士吉田まで流れ下るものです。冬の間に富士山に積もった雪が、気温が急上昇した春の雨の日に滑り落ちます。


間堀川をはじめとした富士山から伸びる堀は、このような雪代を受け止め、まちが雪代に飲み込まれないための装置です。写真は1961年に雪代が起きた時の、月江寺前の銀座橋の様子です。土砂が溜まって堀が埋まっている様子が見てとれます。雪代がおさまると、地域の人みんなで土砂を取り除き、次の雪代襲来に備えます。
小佐野から古吉田そして上吉田へ
イベントタイトルの副題にもある通り、小佐野から古吉田、そして上吉田の上町と中町、上吉田の下町という順に、まちが形成されてきました。Google street viewを用いて、東西に伸びる古い道をたどってみましょう。
はじめに見えてくるのは小佐野です。詳細はわかっていないのですが、平安時代から鎌倉時代に、まちが形成されたと推測されています。道を進んで行くと、古吉田を守るための山城である城山を越え、古吉田に到着します。古吉田は室町時代には形成されており、当時は御師の家があって、富士登山者はここに宿泊していました。さらに進み、間堀川を渡ると、今の上吉田のまちに出ます。この道と富士みちの交差点よりも南側が1572年にできた上町と中町、北側が1606年にできた下町です。


小佐野、古吉田、上吉田で暮らす人々はどうやって水を確保していたのでしょうか。ひとつには泉水の湧き水を利用していたということが考えられますが、水量が少ないためこれだけでは不十分です。そこで、桂川から上吉田に向かって水を引くために「福地用水」がつくられました。この用水は鐘山の滝の近くの用水トンネル「蝙蝠穴」から浅間神社の御手洗川を通り、御師の家それぞれの敷地内を流れて、滝や池となっています。小佐野や古吉田のことはまだあまりわかっていませんが、もしかすると上吉田のように桂川の水をひいて使っていたのかもしれません。特に小佐野のこ とはほとんどわかっておらず、「幻のまち」となっていますが、今後発掘調査をするとわかってくることがありそうです。
よこまちポストON AIRの第2回目では、ふじさんミュージアムの学芸員である篠原様に、上吉田の歴史について語っていただきました。航空写真や地図、ストリートビューなどを用いた、オンラインでも非常にわかりやすいご説明でした。雪代によって堀が埋められた写真は衝撃的で、地質や水系の視点から上吉田を見る機会はなかなかないため学生メンバーにとっても興味深いお話でした。小佐野から古吉田、そして上吉田へという変遷を追うことのできる古い道を、次に富士吉田を訪れる際にぜひ歩いてみたいと思いました。
篠原さん、貴重なお話をありがとうございました。
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